一. 肉じゃがに込められた私たちの思い
「肉じゃが」と聞いて何を連想しますか? 「おふくろの味」、「和食の基本」、「彼氏が彼女に作ってもらいたいものランキング1位」・・・ そこからは庶民的でどこか懐かしい、和食の代名詞というイメージが浮かんできます。
私たちは小売という業種において「Una casita」というブランドコンセプトを作るとき、「世の中にはないたった一つの業態」を作ることを標榜しました。それはつまり「何屋さん?」と人から尋ねられた時、「一言で説明できないお店」をつくるということです。「一言で説明できるお店」は、ご承知の通り、すでに世の中に多数存在します。スーパーマーケット、ドラッグストア、ホームセンター、家電量販店、八百屋さん、魚屋さん、お肉屋さん、お花屋さん・・・。当然、私たちには、こうした既存の業態を選ぶという選択肢もありました。「一言で説明できるお店」を作れば、先輩企業たちが作り上げてきた平坦で草一つない舗装された道を、最後尾からついていけばいいのですから。銀行だって従業員の親御さんだって楽だと思います。「御社の業態区分はスーパーですよね?」、「うちの息子は家電量販店で働いてるの」と言えば、話はそれで終わります。
でも私たちは、「一言で説明できるお店」を作った先に何が待ち受けているのかを知っています。この走りやすい道のはるか先には巨大な先輩企業がひしめき合い、血みどろの価格競争を繰り広げていることを知っています。ふと目を横にやると、ものすごいスピードで私たちを追い抜いていく激安店の姿がそこにあることも、後方からは新たな激安店が私たちを追い抜こうと狙っていることも知っています。先輩たちにはどんどん先に行かれ、後方からはどんどん抜かれていく地獄のような競争が待ち受けていることを知っています。どこの会社も生き残るのに必死です。お客様の奪い合いと従業員の入れ替えを繰り返しながら、会社がなくなるまで終わることのない耐久レースを走り続けるのです。
その果てしない競争の先に、果たして「本当の幸せ」はあるのでしょうか。起業した時に作られた「お客様を第一に」、「従業員は大切に」、「お取引先の繁栄の為に」というような理念の実現は本当に可能なのでしょうか。全てのエネルギーを「価格競争」につぎ込み、誰もが疲弊しているこのレースを傍から見ていると、とても疑問に思えてきます。形骸化された理念のもと、何のためにお仕事をしているのか、何のためにその会社が存在しているのか、そんなことを考える余裕さえなくなってきます。
「私たちが私たちらしくあるため」に決断しなければならなかったこと、それは「価格競争をしない」ということでした。そして道なき道を選択し、そこで一番になるということでした。「何屋だかわからないお店」を作り、銀行や従業員を困らせるということでした。道なき道は険しいですし、困難はつきものです。理解を得るのも容易ではありません。でもそこでは「絶対的な1位」の企業として君臨することができるのです。後にも先にもその道に私たち一社しかいなくても。
アメリカのオバマ前大統領が大統領選挙の際に使っていたフレーズを覚えていますか? そうです、「Yes, we can!」 。アメリカ人ではない私たちでもみんな知っていますよね。ところが自分の会社の経営理念は日本語なのに覚えられない。こんなおかしなことが起きています。私たちが私たちらしくあるために、道なき道を選択しその先に希望を見出すために、この会社で働くものすべてが覚えられるものとして考えた経営理念がこの「肉じゃが」なのです。「肉じゃが」を装飾している言葉はありますが、私たちの「Yes, we can!」は「肉じゃが!」なのです。
「肉じゃが」に必要な材料は、お肉以外は私たちのお店で買い揃えることができます。国内産のジャガイモに人参や玉ねぎ、それにお醤油などの国内産調味料。でも100年後の日本の食卓に「肉じゃが」が存在していたとしても、食材は全て外国産に取って代わられているかもしれません。今や農業従事者の平均年齢は70歳を超え、国内自給率はどんどん減少しています。日本食を食べなくなった若者たちが増え、作り手不明の小麦粉や遺伝子組み換え大豆、高カロリーの肉類が大量に輸入されることにより、日本の生産者は一人、また一人とこの日本から消えていきます。
戦後から続いた食の欧米化、私たちの誇ってきた日本の田園風景の衰退、古来より伝わる和食材の作り手の減少・・・「本当にこれでいいのだろうか?」 私たちはそう思わずにはいられませんでした。和食は欧米食に比べ薄味ですから、白か黒かはっきりしている欧米食は若い世代を中心に人気です。しかしその食生活の先に待っているのはガンや心臓疾患などの「病気の欧米化」です。「おいしい」という定義を味付けだけで行うのではなく、将来的な病気のリスクまで含めたトータルな意味での「おいしさ」を、できるだけわかりやすくカジュアルに提案していきたい、その先に日本の生産者の一助になればという思いが私たちの経営理念には込められています。
「肉じゃが」と聞いて何を連想しますか? 「おふくろの味」、「和食の基本」、「彼氏が彼女に作ってもらいたいものランキング1位」・・・ そこからは庶民的でどこか懐かしい、和食の代名詞というイメージが浮かんできます。
私たちは小売という業種において「Una casita」というブランドコンセプトを作るとき、「世の中にはないたった一つの業態」を作ることを標榜しました。それはつまり「何屋さん?」と人から尋ねられた時、「一言で説明できないお店」をつくるということです。「一言で説明できるお店」は、ご承知の通り、すでに世の中に多数存在します。スーパーマーケット、ドラッグストア、ホームセンター、家電量販店、八百屋さん、魚屋さん、お肉屋さん、お花屋さん・・・。当然、私たちには、こうした既存の業態を選ぶという選択肢もありました。「一言で説明できるお店」を作れば、先輩企業たちが作り上げてきた平坦で草一つない舗装された道を、最後尾からついていけばいいのですから。銀行だって従業員の親御さんだって楽だと思います。「御社の業態区分はスーパーですよね?」、「うちの息子は家電量販店で働いてるの」と言えば、話はそれで終わります。
でも私たちは、「一言で説明できるお店」を作った先に何が待ち受けているのかを知っています。この走りやすい道のはるか先には巨大な先輩企業がひしめき合い、血みどろの価格競争を繰り広げていることを知っています。ふと目を横にやると、ものすごいスピードで私たちを追い抜いていく激安店の姿がそこにあることも、後方からは新たな激安店が私たちを追い抜こうと狙っていることも知っています。先輩たちにはどんどん先に行かれ、後方からはどんどん抜かれていく地獄のような競争が待ち受けていることを知っています。どこの会社も生き残るのに必死です。お客様の奪い合いと従業員の入れ替えを繰り返しながら、会社がなくなるまで終わることのない耐久レースを走り続けるのです。
その果てしない競争の先に、果たして「本当の幸せ」はあるのでしょうか。起業した時に作られた「お客様を第一に」、「従業員は大切に」、「お取引先の繁栄の為に」というような理念の実現は本当に可能なのでしょうか。全てのエネルギーを「価格競争」につぎ込み、誰もが疲弊しているこのレースを傍から見ていると、とても疑問に思えてきます。形骸化された理念のもと、何のためにお仕事をしているのか、何のためにその会社が存在しているのか、そんなことを考える余裕さえなくなってきます。
「私たちが私たちらしくあるため」に決断しなければならなかったこと、それは「価格競争をしない」ということでした。そして道なき道を選択し、そこで一番になるということでした。「何屋だかわからないお店」を作り、銀行や従業員を困らせるということでした。道なき道は険しいですし、困難はつきものです。理解を得るのも容易ではありません。でもそこでは「絶対的な1位」の企業として君臨することができるのです。後にも先にもその道に私たち一社しかいなくても。
アメリカのオバマ前大統領が大統領選挙の際に使っていたフレーズを覚えていますか? そうです、「Yes, we can!」 。アメリカ人ではない私たちでもみんな知っていますよね。ところが自分の会社の経営理念は日本語なのに覚えられない。こんなおかしなことが起きています。私たちが私たちらしくあるために、道なき道を選択しその先に希望を見出すために、この会社で働くものすべてが覚えられるものとして考えた経営理念がこの「肉じゃが」なのです。「肉じゃが」を装飾している言葉はありますが、私たちの「Yes, we can!」は「肉じゃが!」なのです。
「肉じゃが」に必要な材料は、お肉以外は私たちのお店で買い揃えることができます。国内産のジャガイモに人参や玉ねぎ、それにお醤油などの国内産調味料。でも100年後の日本の食卓に「肉じゃが」が存在していたとしても、食材は全て外国産に取って代わられているかもしれません。今や農業従事者の平均年齢は70歳を超え、国内自給率はどんどん減少しています。日本食を食べなくなった若者たちが増え、作り手不明の小麦粉や遺伝子組み換え大豆、高カロリーの肉類が大量に輸入されることにより、日本の生産者は一人、また一人とこの日本から消えていきます。
戦後から続いた食の欧米化、私たちの誇ってきた日本の田園風景の衰退、古来より伝わる和食材の作り手の減少・・・「本当にこれでいいのだろうか?」 私たちはそう思わずにはいられませんでした。和食は欧米食に比べ薄味ですから、白か黒かはっきりしている欧米食は若い世代を中心に人気です。しかしその食生活の先に待っているのはガンや心臓疾患などの「病気の欧米化」です。「おいしい」という定義を味付けだけで行うのではなく、将来的な病気のリスクまで含めたトータルな意味での「おいしさ」を、できるだけわかりやすくカジュアルに提案していきたい、その先に日本の生産者の一助になればという思いが私たちの経営理念には込められています。